若返りだって? 本当ですか?

200歳まで生きます。

189_痛みが消えてゆく、2/6 大事な人の名前を思い出せない衝撃!。

  お父さんは、人生を導いてくれた大切な人の名前を思い出せないのに気がついた。「なんで? こんなことがあってよいのだろうか?」忘れることなどありえない名前なのだ。帯状疱疹ご神経痛は、脳の記憶にまで影響及ぼすのかもしれない。




 脳の中のその人のイメージはちゃんと残っている。でもそれと結びつく言葉が消えた。同じ姓の人がいたのを思い出した。が、「あれ?下の名前がわからん」 あいうえおの順番に試していき、2時間もかけて思い出した。新しいリンクができたので、もう忘れることはない。



その恩人が93歳のときに、お話を作った。自分で作った話を何回も読んで、大好きだった母親思いだして、涙を流していた。



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ポッポン
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( 時代背景は昭和六年 一月)



作者:高山 広志 (大正14年04月01日 生まれ)
製作日:平成26年11月29日



突然、「坊コレ」だよ....


母は手で口元を防ぎ、そしてもう一つの手を広げ、五本の指を僕に見せたのである。六歳の私には、何もわからなかった。


 後ろから、汽車の車掌さんが、「キップ」の検査に来た。 母は小さい声で、「坊は五才だよね.....」ともう一度言って黙ってしまいました!


 車掌さんが来て、母に話しかけました。 それを見て、私はとっさに小さな手を拡いて、母に見せました.....。



 それを見た車掌さんは、「そうだ、坊は大きいけど五つだものな.....」 「まだまだ大きくなって、立派な子になるんだよ」 と言って、前の席に進んで行きました。



母の顔は真っ赤になっていました。



 本当は、六才になれば汽車賃がかかるのですが、私はわからないため、汽車にのれた「うれしさ」におおはしゃぎでした。


 当時の汽車はいつも満席で、切符のない子供には席がありません。 私は、腰かけと腰かけに板を渡し、その上に寝せられました。



 当時の汽車は、白石から青森まで、夜行列車で約九時間かかりました。 三等席四人掛けの「ポッポン」(蒸気機関車のこと)。



 トンネルを出た時は、お互いの顔は「スス」だらけ。すばらしい変身です。


朝五時、ヤッと青森駅に到着。いよいよ、連絡船です。大きい船、青い空、青い海、すべてに「ビックリ」です!


 乗り込んだのは三等室。畳の部屋でゴロ寝です。



 出航のドラのねがなりました。スベル様なスピードです.....
ところが間もなく右に左に大きくゆれ始めました。



 みんなの顔が青くなり始めました。「ゴロゴロ」、「ゴロゴロ」横になり始めました。ウメキ声やら、さけぶ物音が聞こえます.....



 ついに母も船に酔いました。私は何も助ける事ができません。不思議な事に、私はなんともありませんでした。



「お母さん、大丈夫か?」

「もうだめ!」、母がもどし始めました。



荒波がカブリ始めたため、トイレに行きたくても行けない。 気丈な母は私を胸に抱いて、ブリッジの外側にある所まで、たどりつきました。



 母子共々大波をカブリながらの用足しでしたが、ヤッとの事で海峡も乗りきりまして、部屋に戻ったときはグッタリでした。


 函館港は静かで、荒れていた海がウソのようです。 海も空も色が違い、知らない世界へ入るようでした。


それから、また汽車に乗り換え、岩見沢に向かいました。


 実は、この旅は、母の父親との最後のお別れのためでした。寂しさ、不安の中、母は私のような小さい子供を、 自分の心を支える杖として必要としたのでしょう。


 駅についた時は夜でした。 ちょうちんを振りながら、「ばあちゃんやー」、「ばあちゃんやー」と親戚の人の声が聞こえました。



 ちょうちんの明かりが揺れる寒い夜、六歳の私は、親戚の人の背中の温かさで眠ってしまいました。



 北海道からの帰りに、母は何度も言いました。


「母ちゃんは悪い母ちゃんだよなあ」
「母ちゃんは悪い母ちゃんだよなあ、お前にウソを言わせたね」
「母ちゃんには神様の罰が当たるよ」



生きる事の厳しい現実、肉親との別れ、母はこのとき、「生きていく試練への覚悟」をしたのでしょうか。


チャンチャン!



 お父さんは、爺さんに、「必ず嘘を入れてください」と言っておきました。
最後のところに入れておいたと教えてくれました。



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